おぼろ月(金戸部)
金戸部という名の剣豪師弟。割り切れない思春期金吾の11期ネタ。この回の原作も戸部先生がかっこいいのだ。
おぼろづき
初めて人の殺め方を先生に教わったのがあの時、玄南さんの影竜をは組みんなで追いかけたときだった。
縁側には刀泥棒の一味が笑っている。ぼくは何も判らずに鳥肌が立つのを感じながら縁の下に潜っていた。
汗のひとつも見られない戸部先生に手をとってもらい、見様見真似で剣を構えた。戸部先生と山田先生の見守る中、腕をがくがくさせながら外の悪党達を見つめた。
「ガッ」
その瞬間、縁の下でどっしりと存在感を放っていた角材がザックリと切れた。うわあ始まった、とほうぼうのていでそこから離れる。戸部先生がネズミを始末しようと奮闘していたのだと周りのメンツが教えてくれた。そこからはしっちゃかめっちゃかだった。もうどうにでもなれ、そんな気持ちだったけれども、右往左往しているうちにいつの間にやら盗賊はお縄になっていた。
何がなんだか分からずただ必死に走った日だった。ただ、戸部先生はいつにも増してほれぼれするくらいかっこよかったのである。それからというもの湯船に沈んでいる時、それに布団でまどろむときにはしょっちゅうそのさまを反芻した。
そう思っていたけれども。
ぼくが先生に弟子となって三年経った今ならよんどころなく理解できる。ネズミを斬ろうとしたあれは慌てた末の隠し芸でもなんでもない。それはそのまま人間の命を奪うやり方なのだ。先生はものを壊したとしても決して切っ先を人に向けないやり方を知っているから、少し羽目を外した所でどうってことないというだけ。剣術指導の時のいつもの調子でつい人の斬り方を教えてしまったけれども、きっとぼくが手を汚すのは少し早いと思ったんだろう。その不器用な心遣いがいっそう心を抉る。
布団の中でまどろもうとしていたのに、またもや思考が堂々巡りを始めてしまった。秋の夜長は長い。一旦目が冴えてしまえばしばらくは眠れないのは分かりきっていた。かと言って喜三太の睡眠を奪うのも気の毒だったから、抜き足差し足、出来るだけゆっくり障子を開けて、空いた少しの隙間にからだを滑りこませた。
朧月が闇夜を照らしている。学園の隅にある池は水を打ったような静けさだ。潮江先輩がご卒業なさってから会計委員会の鍛錬は日中のみになった。新会計委員長の田村先輩きっての方針だという。
「どうしたんだ金吾、こんな所で何をしている」
「先生!」
名を呼ばれるまで気づかなかった。気配が手が届くか届かないかの場所で戸部先生が佇んでいる。
人を斬ることが怖い。友達にさえ打ち明けられる類いの話題ではないのだ。ましてや師匠に漏らしたところで何になろう。たとえ郷里に戻ってもお父上の後を継がなければならないのだ。
「ちょっと眠れなくなって……」
「ここの所顔色が悪いぞ、夜風に当たるのも程々にしておけ」
「大丈夫です、ぼくは……武士の子ですから!」
先生は優しいから何も言わない。だけれどすっかりお解りなのでしょう。
先生の気配はふっと消えてそれっきり影も形もなくなってしまった。
ゆらゆらと細かなさざなみを立てる水面を独り見つめる。刀泥棒事件の全てが大団円とあいなった後、頼みこんで玄南さんに影竜を持たせて貰ったのだった。あの時は刀を持っただけであまりの重さに振りかざす真似すら出来なかった。が、もしかすると今ならぼくも横一文字に構えて刀に刻まれた印を映し出すことが出来るかもしれない。そうしたらどうなるだろう。もしあの打刀影竜をどっしりと構えることが出来たならば、この水面の揺らめきはすっかり収まって、代わりに欠けることのない今晩の望月が映る気がした。
堰を切ったように涙が頬をぽろぽろと伝っていった。視界がぼやけて辺りで見えるのは煙るおぼろ月くらいだ。肩に掛かった髪を揺らす風は少しつめたい。
ぼくは今でも弱虫なのです。(おわり)
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