まずは外堀から


まずは外堀から


気がつけばもう年の瀬。本日は朝から自室で火鉢にあたりつつ、今年分の剣術指導録を順繰りに綴じていた。このところ、寒いせいかめっきり牧之介の足もこちらへ向かなくなったようだ。うるさい奴がいないと仕事が嘘のようにはかどる。だが、どこか物足りないような気もするのだ。いや、決して牧之介が来なくて寂しいという訳でもないのだが。

「戸部先生、お届けものですよ〜!」

考え込んでいたことがぷっつりと途切れ飛んでいってしまった。廊下からこちらへ小松田くんが派手に突っ込んできたのだ。

「戸部先生、牧之介くんととうとう結婚したんですね〜!いや〜、おめでとうございます!」

「は、なに!?牧之介だと!?」

「またまたぁ!ほら、これこれ!」

のんびりとした口調で小松田くんが差し出してきた葉書。おそるおそる宛名を裏返すと、中央には墨鮮やかにとんでもない文字が躍っていた。

『剣豪花房牧之介と戸部新左ヱ門は''めおと''になりました。御祝儀大歓迎』

下の辺りには仲良さげに微笑む牧之介と私の絵が芋版刷りになっていた。墨をつけてペタペタと押したであろうそれは決して上手いというわけでもない。だが妙にこまごまとした特徴を捉えているところなど下手なちょっかいより余計に癪に障る代物だ。

「いやあ先生、黙ってたなんて水くさいじゃないですか〜、結婚祝い、忍術学園の名義で送っときますね」

「私は牧之介と結婚などしていないしあいつのことなど知らん!これは何かの間違いだ!」

グシャリ!

「ひゃあ、じゃあこの葉書は?」

「牧之介のいたずらだろう……はあ」

葉書を小松田くんから強引に奪って懐に突っ込んだ。
おかげでせっかく進んでいた作業に戻れなくなってしまった。今日の分はこれでおしまいにして、遅い昼食を取ろうと食堂へ向かう。すると、牧之介の流した偽の結婚話がだいぶ大きくなっていた。噂を聞きつけたのだろうか、生徒たちがどんどんとこちらに集まってくる。

どうして牧之介なんかと結婚なんかしたんですか、と心配そうな顔。
かかわり合いになりたくない、って言ってたのに、と怪訝な顔。
牧之介のこと、ホントは大好きだったんですね!としたり顔……

そんなこんなが一気に襲ってきて、私はすっかり疲れてしまった。

「違う!私には何も関係ない!これはきっと牧之介のワナ、だ!」

「え、お祝いにバナナ、いただけるんですか?さっそくは組のみんなに教えないと」

ああ、今のはしんベヱだな……

「こら、戻ってこい!」

頭が痛い。訂正もおぼつかないほど話が大きくなってゆくのが分かった。大体、何故こんな真っ赤な嘘に皆揃って騙されるのだろう。私がいつ牧之介のことを好いたというのか。いつ気にしたというのか。

つかの間の平穏はまたもや牧之介のせいであっけなく崩れ去っていったのであった。このままでは食堂でもどんな災難が待ち受けているか分からない。それにまた何を言われるか分からない。兎にも角にも、学園を早いところ抜け出すことが先決だ。

「用事がある、すまんがそこをどいてくれ」

「「ちょ、ちょっとまってくださいよ!」」

空腹でふらつく体で、追いかけてくる生徒たちをなんとか振り切った。

ゆらり。腹が減った。

山道を一里ほど歩いたところにある行きつけのうどん屋の暖簾をくぐる。

「きつね、一杯ください」

「あ、剣術師範の戸部新左ヱ門殿!あそこに先生とお知り合いと名乗る方いらっしゃいますよ、相席いかがですか」

「戸部新左ヱ門?そんな顔してどうした」

「まーきーのーすーけ……今度という今度は許さないからな」

相変わらずとぼけた顔が上手い牧之介だ。

「お前、言いふらしただろう!私とお前が結婚したなんて言う真っ赤な嘘を」

「お前と結婚すれば御祝儀いっぱい貰えるかなって思ってさあ!剣豪連合にもはがき、手当り次第出してきたぞ、ほら」

「言え、いったい何枚送った!?」

襟を掴んでぐらぐらと揺さぶる。

「く、苦しい……40、いや50枚かな……見ろ、こっちは四色刷りだぞ」

全く呆れたものだ。やけに膨らんだ牧之介の懐をさぐると案の定、懐から頂き物がじゃらじゃらと落ちてきた。まったくもう貰っていたのか。皆してよくころっと牧之介なんかに騙されるものだ……

「いやあ、こんなにお祝い頂いちゃってな……お前顔が広いなあ」

「今すぐ!さっさと!返してこい!!!」

「そんなことしないもんね〜!だってこの金でうどん食いに来たんだから」

まったく、とんでもない奴だ。しかも牧之介の出した銭は勘定は大量に食ったうどん代には少し足りなかったのだ。もちろん私が余計に払うことになった。

うどん屋の外に出ると物凄い羽音がする。蜂?

「うやああああた、助けてそこで見てないでさあ、新左ヱ門、めおとのヨスガだろぉ〜」

「そんなものになった覚えはない!」

巣を壊された蜂はしつこく追いかけてくる。じたばたする牧之介を担いで走った。結局半刻もそのまま逃げる羽目になった。全く世話がかかるやつだ。

ようやく下ろそうとした時、運悪く手がすべった。慌てて体勢を整えようとしたが時すでに遅し。

うわ!

ちう。

我に返った。牧之介を地面に押し倒した格好になってしまい……しかも口吸い未遂まで。

「これで本当のホントになったな!これでお前は私のことを忘れられないだろう。これって相思相愛、っ、モガモガはにゃせったら!」

これ以上調子に乗られても困る。余計なことを言う口を手で塞いだ。

「何でもいいから……この事は言いふらさんでくれ」

「言うに決まってるじゃないか!既成事実さえあれば外堀を埋めていくのは簡単だ」

「あああ……面倒なことに……」

やわやわとしていた頬と唇が思い出される。思わず顔を覆った。


(おわり)

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