海に行く話
海に行く話(戸部牧)
(ふわっと付き合っている戸部牧の話です)
早くもじりじりと太陽が照りつける朝。早々に剣術の鍛錬を終え、私は忍術学園の自室で貰い物のまんじゅうをぱくついていた。
「すいません、戸部先生いらっしゃいますか?」
声の主に返事をして腰をあげる。障子をからりと開けると外にいたのは土井先生だった。決まりの悪そうな表情を浮かべ手を合わせる先生。
「戸部先生…本日はご予定ありますかね?
よければ兵庫水軍の港まで行って忍術学園からのお中元を渡しに行っていただきたいのですが…」
「兵庫水軍の所ですか?」
「そうなんですよ、は組の誰かに頼もうと思ったのですが、あいにく予定がつかず…」
「なるほど…」
「勿論相応のお礼はしますので…どうか」
「ああ、構いませんよ。本日は授業もない」
「ありがとうございます、お手数お掛けしますね」
兵庫水軍のところか…土井先生が退出してから物思いにふける。久しく見ていない海のことを思うと、ざああと波の音が聞こえてくるような気がした。
「うわ、お前いつの間に」
「やっほう戸部新左ヱ門、海に行くとはいい話じゃないか!うん、このまんじゅうふまいな」
途端、牧之介がひょいと現れ食べかけの饅頭をかっさらった。
「こら牧之介…!勝手に私の分を食うな」
「そんな事言うなって、半分こだァ!」
少々腹立たしい。手刀でぽんと頭を叩いて咎めたが暖簾に腕押しだ。
「新左ヱ門、兵庫水軍のとこ、私もついて行くぞ!」
「お前な…私はお中元を届けに行くだけだから」
「イヤ、お中元だけの訳がない!うおおお魚…海の幸…食べ放題…イワシもアジもきっとブリだって…」
魚の名前をぶつぶつ唱えながらものすごい勢いで私にくっついてくる。
「あっ、そうだッ!」
少し目を離すと、牧之介はいつのまにやら大きな籠を背負って、それに手抜かりなく釣り道具まで担いでいた。
「牧之介お前、まさか盗ったんじゃないだろうな…」
「流石にバレそうだから借りてきた、ほら、脇差しを質草にしている」
軽くなった袴の脇をぺちぺちと叩く
「返せなくなっても金は貸さないぞ」
「にゃはは、それじゃぁ秋の学園祭バザーに期待だ、刀安くしてくれよな戸部ちゃんッ!」
昇っていく太陽の光が目に痛い。牧之介はといえば、最初は猛スピードで先走っていたが次第に足取りが重くなってきた。
「暑ッついな…肩にめり込む…もう無理ッ」
汗をだらだらさせへたばりそうである。
「まだまだこれからだぞ、そんなに欲張るからだ…」
「うえー…つれないこと言わないで…」
「自業自得だ、あと半刻歩いたら代わってやる」
ようやく日の照り付ける約束の浜辺にやってきた。ところが船着場には船は繋いであるものの誰ひとり見当たらない。
「あれッ、もぬけの殻じゃないか」
「おかしいな、ここへ正午頃に来てくれ、と手紙にあったのだが」
「すいませーん、今行きます!」
代わりに浜の高台の小屋から若衆が駆け下りてきた。肩で息をして既にへばっている
「はあ、はあ、お待たせしてごめんなさい、兵庫水軍の白南風丸です戸部新左ヱ門先生…とお連れさんですか?こちらへいらしてください」
小屋に向かっててくてく連れだって歩いていく。
「白南風丸さん、ところで今日の港はどうかしたのですかね?いい陽気なのに船を出さず…」
「それがですね、数日前に不吉なことが起こりま
して。そう、妖怪が出たらしいんですよ…ヌレオナゴというんです」
「ヌレオナゴ?なんだァそれは?」
怪訝そうな顔の牧之介。
「ええと、女の妖怪です、海に出るらしいんですよ…ちょうどこんな感じの…海に世話になっている私達は縁起第一ですからね」
そういってニコッと笑い、白南風丸は縛っていたぼさぼさの髪をだらあと前に垂らした。
「こぉんなふうに笑みを浮かべて海から這い上がってくるんですよ…取り殺されるかという顔で…」
「うあああッ!」
悲鳴をあげ牧之介はひっくり返ってしまった。
「まあ…それはさて置き、いっぱいご飯食べてくださいね」
「わざわざすみませんな」
「いっただきま…
あれ、雑炊だけか?魚は…楽しみにしてたのに」
「あいにく生魚を切らしていまして…海に出られればいいんですけども…」
「あ、ワカメならたっぷりと有りますよ」
直ぐにお皿いっぱいの茹でワカメを運んできてくれた。持ってきた籠にもいくらか詰めてくれる。
「ほら、食え」
「うげげ…さっきのヌレオナゴを思い出して…」
ヌレオナゴの話を聞かされたせいか、山盛りのワカメに食欲をなくす牧之介。仕方ない、と私が後始末に山盛りのワカメを食べることになった。
お中元ありがとうございました!アジの干物をもらって牧之介の頬が緩んでいる。
「帰りがてら、ちょっと海を見ていくか?せっかく釣り道具も持ってきたのだし」
少し探してしているといい具合に入り組んだ岩場を見つけた。
「おお、ここはきっとよい釣り場だぞ」
「ここならきっと獲り放題だなァ!やった」
先程貰った干物の切れ端を付けて釣竿から水面に糸を垂らす。
「私、初めて海で釣りするんだ!故郷の大和はどこもかしこも山と川だったからなァ…」
大海原を背景にした牧之介の珍しく真剣な顔を、私はぼんやり長いこと眺めていた。
「なかなか釣れんな…あとどれだけ待ちゃあいいのか…
うわっ!」
眠くなってきたところに急に叫び声がこだまして思わずはっとする。
銀色の魚が夕焼け空にキラキラっと舞った。手のひらに乗るくらいのちいさな青魚がピチピチ浜に飛び跳ねる。
「新左ヱ門、この魚はなんだ?」
「ああ、これはキスゴだ。塩焼きにすると美味い」
「やったぁ!早く食いたい!」
「そう急くな、もう何匹か釣ってからだ」
岩場に置いた籠に銀の魚が集まってきた。
「よっこらしょっと…」
釣りの成果を一緒に砂浜まで運ぶ。
小刀でざくざくと捌き、海の水で味をつけた。丁度いい枝を見つけて魚に刺し、火を焚いて炙ることにする。
「魚、やわくてふまい…こんな美味いの初めて食った
戸部ちゃんすごいな…」
今にもこぼれ落ちそうな頬を抑え、目をまん丸にして見つめてくる。こういう所があるからつい絆されてしまうのだ。
ちうと口を吸った。牧之介は薄闇でも解るくらいに動揺したようだ。
「バカぁ!」
強がりなのか、顔を覆って浜に寝転び、そっぽを向いてしまった。その様子を見て、年甲斐もなくちょっとした優越感を得る。
「急に口吸いすんな!なんかこう、もやもやするだろッ!」
返事をしながらも、向こうの方を向いたまま膨れたようにもごもごしている。
「新左ヱ門…なんか口ん中がちょっとざりざりするぞ」
「ああ、言われてみれば確かに…海だからなぁ」
私も砂浜にごろりと寝転がった。ざあざあと心地よい波の音が聞こえてくる。昼の熱がじわじわと温かく身体に染みわたった。
「口吸い、もう一回するか?」
背を向ける牧之介に戯れめいた調子で言う。
「ううう、きょうはもうゴメンだぁ!」
砂だらけになってゴロゴロ転がりまわった牧之介。普段のふてぶてしさとの落差か、なんだかあの牧之介がかわいらしい。きっとこれは惚れたものの弱みなのだろうな、と独りごちる。
夜の入口。焚き火がそれはそれは赤く燃え、浜辺でぱちぱちと跳ねた。(おわり)
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