まどろむ


私はまだ幼くて、何も分からなかった。かかの膝の上で眠ってなにか幸せな夢を見た。山の麓で輿を降りて、坊主に囲まれた私は手を振って見送る。よく喋ってよく笑ったかかはいつになく神妙にしていて、生きて欲しい、とだけ言った。それきり姿を見ることは無い。もう二度と会わないのだろう。

女子を排した此処に来たのが私だ。はなから仏など信じちゃいない。祈ったこともない。役割なんざただの器で、空っぽの私はただ慰めの道具にされているにすぎなかった。けれど別に命を取られる訳でも無いしどうでもいい。それよりも抱きながら、顔を脂ぎらせておいて寝所で説教してくる奴が一等気に入らなかった。とっかえの効くただの代用品にそこまでして色を求めるかと思うと可笑しいけれど。建前ばかりの閉じた山に居るとあいつらをどうしようもなく軽蔑したくなる。

だけれど私もきっとそこに堕ちていく。谷底から見る真っ青な空は山に沿って切り取られている。眠気を誘う木魚の単調な調子。紫煙が天へ立ち上る。荒れた都とも、活気に溢れた市場とも異なる酷く狭い世界だった、彼処は。

書物をくるくると捲る。金の香炉の奥に鎮座する仏に手を合わせる。寝所に呼び出される。毎日が単調でどれも詰まらなかった。何度も逃げようとして捕まった。腐りきった組織は薄っぺらの息苦しい言葉で塗り固まっている。朝は人の道を解く癖に舌の根も乾かぬうちに薙刀を研いでいる奴らばかりだった。

何回目かの春のうららかな日、尾張から来たという軍団が突然押し掛けて、僧兵が火縄銃でなぎ倒され弓で射られていった。普段の勢いは嘘のようで、まあ拍子抜けするくらいだった。私は必死で、長い髪を振り乱して、単衣以外脱ぎ捨てて裸足で逃げる。桜の花が辺りに舞いちった。崖の上から呆気なく炎上した寺の最期を看取ってやった。乾いた木は面白いくらいにめらめらと燃えていた。何一つとして残らない。

独りになってからは当てもなくふらふらと歩いている。もう何夜を夜露防げぬ処で過ごしただろうか。それでも都は凄い。濁らぬ目など久しく見ていなかった。
傍らの斃れた足軽から着物と袴を頂戴した。ついでに脇差しも抜き取った。ぬらりと光る刃で長すぎる後ろ髪をざっくりと断ち、残りを乱雑に紐で括る。刀は楽しい。振ればすっぱりと切れるのでわかりやすい。道化でいられるものなら自ら馬鹿になりたい、と思う。

これからは戦おうと思う。単純なことだ。人間生きている方が強いのだ。桜の花びらはもうすっかり新緑の息吹に紛れている。歩けど歩けど雲は何処までも続いているし陽は海から上ってくるしで、何より、空が広かった。

2024年3月31日

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