願掛け

とある噂を小耳に挟んだ牧之介だった。
道端に風呂敷を広げて古道具屋の店番をしている時のことだ。道端で倒れ伏しているときに声を掛けられ、しばらくぶりにありついたアルバイトだった。

勤務態度はお世辞にも良いとはいえない。 しかし他所に売り払うまでもないガラクタばかり扱っているからだろう、奇行が目立ってクビになることもなく日に幾らかの小銭を得ている。

市中には様々な流言が飛び交っている。近頃よく聞くのはまじないの類だ。その中でも特に若い娘の間でまことしやかに囁かれているのが件の噂である。
意中の人の筆跡と自分のものを合わせ、ある神社の池に投げ込めば願いがひとつ叶う、という。

「そうだ、新左ヱ門!!!」

これだ、とはっと思い立ち、一息ついたあとはすぐさま行動に移した。
学園の方へひた走る。日雇いの仕事などクビ切られてもまた見つければいい。
惚れた腫れたと言うよりは、願いが受けいれられれば戸部が今度こそ勝負を受けてくれるだろう!と曲解しての上の行動だった。
だが任務遂行には「自分を想って書かれた紙片」を手に入れなければならなかったのだ。そこで敢えて牧之介は彼らしくストレートなやり方で戸部に問うことに決めたのだった。

先程からなにか妙な気配がする。嫌な予感が戸部の背筋のあたりをぞわりとなぞる。

「たのもー!」

着古した縹の着物、剣豪と名乗るには似つかわしくない緩んだ表情。障子をがらりと開けて目の前に現れたのは性懲りも無くやってきた花房牧之介だった。

「はぁ……勝負ならせんぞ」

よくそう楽々と学園の中に入って来るもんだ、と戸部は苦々しげに呟いた。牧之介が来そうな気配を感じた時は小松田くんに追い返すよう強く言い含めている。
だが、今日に限ってはすっかり失念していた。忙しい牧之介に邪魔でもされれば本末転倒だというのに。


「全く小松田くんときたら……」

「いやぁ、戸部新左ヱ門はいるかって訊いたらお部屋にいますよぉ、ってさ」

戸部の心労など我関せずといった様子で牧之介は屈託なく笑う。

「実は用があって来た、しんざえもん、私について思うことはないか……?」

「いきなりやって来てどういうことだ全く迷惑だ……」

「いい所だ、私のいい所をこの紙に書きつけろ」

「おまえの……良いところ?」

「だから、ひとつくらい有るだろうと言っているのだ!」

牧之介がぐいと文机の向こうに体を乗り出した。薄汚れた半紙が懐から突き出される。
戸部が思わず仰け反ったにも構わず、牧之介は目を輝かせ期待に満ちた表情を見せた。

「だから……その、褒められるのは諦めの悪いところくらいだろう」

私にとっては煩わしいだけなのだが、早く帰ってくれないかと渋々筆を手に取る。諦メ悪シ、と書き付けた。悪用されても行けないので殊更署名することも無く牧之介の方に紙を突き返す。
と、戸部の中に悪戯心がむくむくと湧いてくる。近頃願掛けが生徒の間で流行しているのは疎い新左ヱ門も知っていた。

「では、そんなに訊くならお前は私のいい所を知っているというのだな」

それまでせわしなかった身体が一瞬動きをとめた。

「う、うるせー!」

牧之介の顔が真っ赤に染まったかと思うとぷいとそっぽを向いた。
「わたしはライバルに塩を送るようなマネはしないぞ!」そう吐き捨てるように叫んで部屋を飛び出して言った。
遠くで小松田くんが出門表へのサインを呼びかける声が聞こえる。いつものむくれ顔も何となく微笑ましく思えるような気がした。


(おわり)

2023年5月3日

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