夏には蜜柑
夏にみかん
今日もテレビに映る日本列島のイラストは高温注意情報で真っ赤に染まっていた。
なるほど見事にうだるような暑さである。朝に観たニュースは大当りもいいところだ、と滲む額の汗を拭った。
頼みの扇風機といえば''強''までツマミを回したものの、ちっとも涼しい風を送ってこない。挙げ句の果ては首を振る動きがガクガクとぎこちなくなり始めた。
もうコンセントを抜いてしまおう…
重い腰を上げて立ち上がると、読み差しの本が居間の隅に山を作っているのに目がいった。乱雑さを放ったらかしておく質ではないのにとげんなりする。暑さにあてられたとはいえ、趣味に手をつける気さえ起こらないのは重症だ。
「とーべーちゃんー!ここ開けろーッ!」
あっ、来たな…
庭からガラス戸を乱暴に叩く音。牧之介だ。
ぶんぶんとレジ袋を振り回している。
「お前、呼び鈴を鳴らせばいいものを、わざわざ居間まで回って…」
ガラス戸のクレセント錠を開けてやると、サンダルを庭に脱ぎ散らかしてこちらに上がってくる。
「お前ん家に来るついでにコンビニへ寄ったんだ、そしたらいっとういいもの見つけてな…
一緒に食おう!」
「牧之介、また要らんもの買ってきたのか?前に持ってきた巨大プリン、食い切るのに難儀しただろ…」
「ま、そう言うなって…」
牧之介はいたずらっ子の顔をして、レジ袋から小さな箱を取り出した。何ならバアンと効果音でも付け足したくなるような勢いだ。
「聞いて驚くな、冷凍ミカンだぞ!」
「冷凍みかん?コンビニで売っているものなのか…!」
「すごいだろ、見たらなんだか無性に食いたくなってな…今ごろ溶けて食べ頃だぞ!」
箱にはみかんの絵がシンプルに印刷されている。牧之介はあけくちを摘んでペリペリ、っとだいだい色のパッケージを開けた。
「見ろ見ろ!やっぱり美味そうだな!」
中には小さなみかんが二つ、皮を剥かれて行儀よくビニールに包まれ入っていた。ご丁寧にミニサイズのお手ふきまでついている。
「ほら、一つ取れ」
「くくっ、ありがとうな」
「新左ヱ門、何を笑ってる?」
「お前からものを貰うのが新鮮で…室町のあの時はたかられてばかりだったからな」
「もう、前に買ってきた時も同じようなこと言っていたじゃないか!そんなに笑うならもうやらんッ」
「冗談だ、有難くひとつ頂くぞ」
手に取ると、だいだい色をした果実はひんやりしてやわらかい。しゃくしゃく、と房を幾つかに割っていくと、みかんの香りがそこらに漂った。
「お、冷たい」
何欠片かまとめて口に放り込んだ。
シャーベット状だったが味は確かにあのみかんだった。酸味のやや抜けた果肉を柑橘の香りが通り過ぎていく。暑さで荒みかけた心がだんだんと満たされていった。
「十二月には山ほど食べているというのにな」
「そういうもんだ!美味いもんは旬だけじゃないぞ…うん、つめたくて美味い」
何の変哲もない果物がとても大事に思われてきた。残りはちびちびと大事に食べていくことにする。
「こいつは暑いのに丁度いいな」
「な、夏にミカンっていうのも一興だろ!」
「ああ、悪くない」
得意げに牧之介は私の周りをぐるぐる回った。
「なあ、そういえば室町のあの時のミカン、覚えてるか?」
「出回り始めの小みかんがあったな、あのころのものは高い割に随分と酸っぱかった…」
「いい時代になったもんだな、新左ヱ門!」
凍ってぼやけた酸味のみかんは、あっという間に喉の奥へ消えていったのだった。(おわり)
ホーム