モブ牧
牧之介
「ひゔっ」
蹴られた腹に鈍い痛み。その場に倒れ込んだ。
あいつらが袴を下ろす前にくち、口を開けないと。顔をしかめたくなるくらい嫌なことだった。三人、いや、四人か……誰が好き好んでこんなことやろうと思おうか。そこまで落ちぶれてなんかいないわい。それでも昔の記憶を辿ってねぶる。このくらい、殺されるよりは余程。
思ったより雑な仕打ちだ。ぐえっと臓物がせりあがってくる。咥えたものは喉を貫き、戻しそうになるのを必死に堪えた。この下手くそが。
でも、尺八するのに疲れて膝をついたのが不味かった。多勢に無勢。一度押さえつけられたらもう抵抗も出来ない。四つん這い姿で慣らしも何もなしに尻を拡げられて無理やり突っ込まれた。これ、多分切れてる。
「やめろ、絶対、許さないからな……」
声が掠れてきた。パチンパチン、肉同士のぶつかる乾いた音に逃げたくなる。ただただ痛いだけのなぶられ方で助かった。戯れにでも触られて身体が反応してしまったら、それこそ……いや、それもそれで仕方ないか。尻は死守したかったが結局このザマ。やられ損だ。
「ううっ……」
身体中の痛みと口内の違和感に声にならない声が口からこぼれる。辺りは澄んだ星空で空気が冷たい。目だけ動かして辺りを見渡すとさっきの拓けた空き地だった。
そう、ついでに腰の大小もなくなっていた。奴らの目的が刀だったんなら初めからくれてやればよかった。まあ身ぐるみ剥がされなかったのは良かったが。
「コノヤロー!……くそぉ……」
日がとっぷりと暮れていることからして、私が打ち捨てられてから一刻は経っているらしい。地団駄を踏めど私をどうにかした奴らはもちろん何処にも見当たらなかった。今年一番に酷い目に遭ってしまった。なるたけ口に出されたものは唾と一緒に吐き出したものの、喉のいがらっぽさはちっとも消えない。とにかく、早く口をすすいでしまいたかった。
何とか少し下ったところの川岸までたどり着いた。本当は今すぐ川に飛び込みたいくらいだったが夜が明けてからにしよう。
痛む足はいつの間にか忍術学園へ向かっていたのに気づいた時はちょっと驚いた。節分の夜で先生たちは飲み会だったらしい。小松田くんは酔っていていつもにまして警備が緩かった。これならサインひとつで侵入できるだろう。
障子の中には案の定寝巻き姿で机でなにやらしている新左ヱ門がいた。
「どうしたお前、いつもと様子が……」
「戸部ちゃん」
部屋に入って障子を閉めて、そこでへにゃりと腰が抜けてしまった。昔なら寝床で一晩中手を爪の跡が付くくらい握って、そうして忘れていたことなのに、なんでここに来ちゃったんだ。いざ新左ヱ門を見たらじわりと涙が溢れてきて止まらなくなってしまった。嘘泣きでなくてほんとうに泣くのはいつぶりだろう。
戸部が耳元で何か言っていたが、上手く聞き取れなかったし、しゃくり上げるのが止まらなくて返事も出来なかった。ただ頬を撫ぜるあいつの手が冷たかった。
新左ヱ門
障子ががらりと開いてそこには牧之介がいた。いつにも増してぼろぼろであった。月光を背に、どこか安堵した表情を浮かべて一言、「戸部ちゃん」程なくぺたりと板間に尻餅をついた。
呆気にとられた。確かに先程引きずるような足音があった。押し殺すような息遣いを聞いた。しかし今夜のこれには心当たりがなかったのだ。夜中であろうと時々ここに押し掛けてくる牧之介だが、これは。明らかに様子がおかしい。写本途中の筆を置いて牧之介に駆け寄った。
「牧之介」
袷から痛々しい青あざが覗いてわけを殆ど理解した。明確な悪意を感じた。恐らく着物の下は更に……
声など掛けられるはずもなく、ただ小さい子にしてやるように手を頭にやるばかりだった。子供のように泣きじゃくる牧之介の大粒の涙がこぼれて頬を伝った。
(おわり)
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