みだれてけさは
まだ明け方と言うにも早そうな暗さであった。珍しく目が覚めたのはこの季節にしては肌寒い程の朝だからだろう。布団から起き上がり外を見渡すと、生い茂る夏草で荒れ果てた境内には白く霧が立ち込めていた。夏休みを過ごそうと探し当てたこの古寺に越してきてそろそろ三週間経つ。そういえば、金吾は無事親元に帰れただろうか。
辺りには鳥の声だけがチュイチュイと響いている。昨晩の雑炊の残りは食う分だけあったろうか。
目が冴えてしまってとても寝る所では無い。有明の月を頼りに筆を執った。しかし困ったことにどうにも仕事が進まない。仕方なく人から借り受けた本の写しでも作ろうか、そう思案していた、その時。
しまった!
書きかけの半紙の上に含ませすぎた墨がボトリと染みを作った。湿気た紙にはとても誤魔化しきれるものではない。思わず溜め息が漏れる。
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じゃあな!
ここに来てから、牧之介が私に会いにくることが無くなった。当然だ、私は静かな夏休みを送りたくてそうしたのだから。ただ、あのちょっと掠れた調子が耳にこびり付いて離れない。
最早誰に指摘されるまでもなかった。あれだけあいつの声が、表情が鬱陶しかった筈なのに、私はすっかり喧騒に慣れかけていた様だった。
しかし牧之介が今まで生きて居られているのはきっと只の偶然に過ぎないだろう。何の素振りも見せずにいつの間にかこの街から居なくなる時が来るのかもしれない。
この乱世で元よりそんな軽々しい奴の軽々しい言葉を信じて等居られないのだ。その姿を見失った瞬間にはそのまま帰ってくるかどうかさえも分からない、本当に。
まあ、私が刀を捨てられない様に、あいつをここに縛りつけるのは間違っているのだろう。私には所詮待っていることしか出来ないのだ。
霧はいつの間にかすっかり晴れていた。篝火が街をぼんやりと照らしている。その先にあるであろう暗い小路にぼんやりと視線を送っていた。(おわり)
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